2009年12月24日木曜日

Merry Christmas Brother &Sister


メリークリスマス!
みんな頑張ってますか!
もうすぐみんな帰ってくるから
楽しみだなあ!
家族って、何も連絡取らなくっても
心は通じてるとかいうのは
たぶん違うと思うんだな。
いい歳になっても、今の時間は
今の時間なりに、怒ったり
喧嘩したり、泣いたりして日々
付き合って生きることが、本当の
家族の形だと思うよ。
ところで僕の首飾り、ちょっと
可愛いでしょ?
楽しい年取りが待ち遠しいな

Merry Christmas Brother &

2009年11月6日金曜日

57歳の秋 東京


この間、東京に行き、マサとウロウロした。
品川の水族館へ行き、アシカショーや
イルカのショーを見て回った。
前回もそうだったが、僕らは
水族館が好きで、彼も
小さいころの海遊館が大変
印象に残っているらしい。
ええ大人の二人が、イルカショーを
喜んで見ているのを、他人は
どうみたか知らないが、
不思議とテレもしない。
ふと気がついた。
俺は、息子をアシカショーに
連れて観に来た父親なのだ。
これほど大きな息子なのに
この状況が自分にとっての
やすらぎだったのだろう。
今日、その「息子」が
タランティーノに逢い
ブラピに逢った。
このニュースをメイルで
家内に知らされた時は
鳥肌がたった。
彼と同じように
この日のことを
一生忘れないだろう。
良かったな わが子よ

2009年10月1日木曜日

グラントリノ




 自分は、クリントイーストウッドさんを、心から尊敬しているが
監督として、アカデミー賞をもらうような映画があまりぴんと来ない。
サービス精神にあふれている方がすきである。
『グラントリノ』は、偏見、人種差別、暴行、侮蔑の言葉に溢れて
いつにもかかわらず、この人の、やはり人柄と言うべきか、
後味はいい。


ひょっとすると、何度も見たくなる後期の代表作になるかも。


自分も、こんな孫を持ち、息子を持ったら、それはそれは
情けないだろうし、説教オヤジになりそうでつらい。


モーガンフリーマンほかの俳優たちが、彼の映画だったら
自分が、金を払ってでも出たい、という程、
彼の映画の撮り方は、シンプルかつ早いそうで
大方、TAKE1、撮っても2、という早撮り。


今回もダラダラっしてなくて、率直、ドンドンと
編集は進む。だからあきずに観れる。


スタッフロール観ていて驚いたのが、歌って
いるのがジェイミーカラム。
僕が目をつけていたジャズ畑の若手で
ジャズ好きなクリントさんと趣味が合ったかと
おもうと、ガッツポーズ!!


クリント爺さんの映画もあと何本とか
考えてしまって、ちょと心配。


そういえば、BREADのキーボード奏者で
明日に架ける橋 のピアノなどを弾いていた
ラリーネクテルさんが亡くなった。


地味な裏方の人だったが、いい仕事をする
職人でありながら、センスのいいピアノを
弾く人だった。老後にゆっくり聞こうなどと
思っていたのが間違いだった。
僕のヒーローたちは時を待たず旅立っていく。
さっさと会いにいくなり、訪ねていかないと
絶対後悔するなぁ と改めて思った。



ところで、DVDについては、マサに世話になった。
CDも嬉しかった。
オヤジのカーステレオはついに新品になったので
CDを聞ける。
SUPERFLYが本町にこだまする。

2009年7月23日木曜日

97年分の1日


 仕事帰りの建物を出ると、まず空気をよむ。
今日は、低気圧か? 湿っているか
からっとして高気圧か?
これによってオヤジの容態が違った。
さらっとした高気圧の日は、体がえらいとは言わない。
低気圧の日は、必ず「てきない」「えらい」が待っている。
パンはあったか?牛乳は、トマトは切れてないか・・・・・・・
6月12日朝7時
長い長い時間がプツンと切られた。
父親が死んだ。
今回も又甦るであろうという僕の読みははずれた。
6週間経った今、僕はゆっくりと振り返る余裕を持った。
さぞ心が楽になるだろうという僕の予想は見事にはずれ
予想もしない心境になった。
僕のこの2年間は幸せだった。
説明のつかないこの心持ち。
子供たちに伝えなければならないことがある。
父は、死の2週間くらい前に、今考えると遺言とも
考えられる言葉を遺している。
『父ちゃん、なかなかいいこと言うに・・』
と言って、『さすがいいこと言うなあ』 と
褒めて励ましていたのだが、まさか
遺言になるとは思わなかった。
ざっとその時メモしておいたのを
たまたまみつけたので、完全に伝えるものでは
ないが、ニュアンスは分かってもらえると思う。
①お前に(豊に)いろいろアドバイスできることに誇り
 をもつことが大事
②人間は自分自身で自分のCMを作れるくらいでないとダメ
 人に作ってもらっているようではダメ
③自分でスポーツをしているように考える。
 キャッチャーの立場で考えたり
 ピッチャーの立場で考えたりする。
 立場が変われば考え方は全く変わる。
④金だけ稼いでニコッとしているようではダメ
 
⑤いろんな引き出しを持つ努力を常に欠かさない
 のが大事
⑥豊の立場を理解し、どうゆうアドバイスをしてやったら
 ためになるのか、常に考える。
 考える時間はたっぷりある。
 ただ寝ているだけではない、それを
 考えることで時間を保てる。
 良いアドバイスができれば嬉しい。
父は、最期に、自分に最高の助言を遺した。
父ちゃん、ありがとう。

2009年5月21日木曜日

HAPPY BIRTHDAY YUMI


先日、長女の新しいうちへ行って来たのだが、丁度自分の誕生日の
翌日で、逆にお祝いしてもらった。
長女を励ましに行ったはずが、まさかこんな状況で
よくケーキを作る気持ちになれたなと、気持ちに感謝した。
このケーキのことは、ずっと忘れないだろう。
今日は、ゆみの誕生日、本人の揺れる気持ちを考えると
遠く離れてはいるが、心から祝わずにはいられない。
近頃、宮川の河畔には、沢山の水鳥が繁殖して、
ラッキーの散歩道を、鴨の親子が、ウロウロして
いたりする。
ゆみの小さい頃、背中で寝かせる時は、
必ず、「ガーガァは寝んねしましたよ
ゆみちゃんも寝んねしましょうか」という
オリジナルソングを謡ってやるのが常だった。
その頃、丁度宮川に、少し足を引きずる水鳥がいて
私たちは「ガーガァ」と呼んでいた。
ある大雨の日以来、姿が見えなくなった。
大水で流されたんだろうなあ、と思ったが
ゆみには言えなかった。
背中から響いてぃる父の声が
いつか思い出になってくれればいいなと
思いながら、歌には手を抜かなかった。
あれから20年、いつでも背中は
あけてある。
あっという間の23年。
おめでとう!!!

2009年5月12日火曜日

HAPPY BIRTHDAY NANA


誕生日おめでとう!
名前がどう決まったかを告白しておかなければなるまい。
当時、父は当然名前に悩んでいた。
その時、実家の関係で、名前をみてくれる人がいるとか
いうことで、その人の名前も知らないし
勿論今はどうゆう風にその電話番号を知ったかも忘れたが
とにかくその人に電話して、
こうこうこうゆう画数で、と話していたら
2つ3つ、こうゆうのもありますけど
きめるのは あくまでご両親で!
といわれながら、聞いていたのだが
NANA・・・と言われた瞬間、
ピンポン!!!と僕の時計が鳴った!
岡田NANAはその後の付け足しで
出てきた話だ。
この両親の遺伝子と
兄・姉の運命を背負って
生まれてきてくれて
ありがとう!

2009年5月10日日曜日

我が家のゴールデンウィーク



我が家のGWが始まった。


今日は母の日


12日は次女の日


14日は父の日


21日は長女の日





写真は、今現在のことなど夢の夢の頃。


両親にとってみれば、子育て時代ということになる。





やはり、あとからほのぼの思うもので


真ん中は、道に迷っているばかりーという唄の文句に近い。





CMで、母の日は、母に会う日というフレーズがあって


母の日は、墓参りにいくのが良いようで、


今、それにのって、墓周りの草取りがてら


お墓参りにいって来た。


妻は、草取りを、かんねつにやるほうなので


証拠写真も撮ってきた。



すっきりしたお墓に向かって

『母ちゃん ありがとう』

2009年4月20日月曜日

私の『GODFATHER』

  珍しい写真を見つけた。
50年前くらいだろうか。
初めて見るこの写真、タイムマシンにのったようだ。
右端は上木のおじさん。
列車から顔を出しているのは京都のおじさんだ。
父も母も若い。
まるで自分版『ゴッドファーザー』を見ているようだ。
みんな背広が今よりかっこいいぞ。
母は美しい。
僕はどっかのおぼっちゃまのようにおすましだ。

しかし昔の思いではこんなに華やかではない

広場で行われた「すもう大会」に負けて
母の胸で泣いたこと。

10円玉を何故僕が持っているのかと
母にきつく問い詰められたこと。

家を出て行こうとする母を
「母ちゃん、行くないな」と
泣いて止めたこと。

夜遅くまで仕事を止めない
母の後姿をただ見ていたこと。

母と見ていた映画がつまらないので
途中で帰ろうと言って
そのおかげで父が命を救われたこと。

酔っている父を、見知らぬ人の家まで
迎えに行って、その家の自分と同じくらいの
歳の子供に、「はよう行ってまえ!」
と言われたこと。

痴呆の母を、施設に置いて帰ってこられる
自分がいたこと

足が腫れ、呻いている母を
施設において、帰ってくる自分が
いたこと。

そして
誰がなんと言っても
こうゆう自分には、晩年に
同じ境遇が回ってくるだろう
とおもうこと。

母のあどけない笑い顔は、僕の救いだ。

2009年3月22日日曜日

卒業式:前夜

 不思議な夜だった。
時が止まったような、生あったかい
狐につままれたような、別の世界があった。

長女の大学卒業指揮を明日に控え、
我々夫婦は、袴を着付けてくれる祖母とともに
京都に居た。
たまたま東山を灯篭でうめるという
花灯篭という企画があるというので
半信半疑でタクシーに乗った。

タクシーを降りると、いきなり細い坂道を
照らす灯篭のまっすぐ上に八坂の塔が
ライトアップされていて、まさに絵葉書。

ゆっくりと花灯篭の道を歩いていくと
次々ときれいな景色が現れて、祖母を
喜ばせた。
二年坂を通り、ねねの道を歩いて
ただただ、この夜に酔った。

八坂神社へ着いた時、
長女と4年半前、初めて京都を
訪れ、この神社のこの同じ場所から
母に電話したことを、二人ともはっきり
覚えていて、時の魔法、
少し長い夢を見ていたような、浪漫に
再び酔った。

彼女もあの時は18歳。
もうすぐ23になろうとしている現在
いつの間にか、大人になった。
卒業式の前の晩、
八坂の神様が見せてくれた
あたたかい夢。
京都の神々は、長女を
祝福してくれたようだ。
ありがたい。
一生忘れない京都になった。

2009年3月4日水曜日

嗚呼!卒制

長女が無事卒業の運びとなり、京都の美術館まで、卒制を見に行ってきた。
中でも優秀と認められたものには(選考基準は聞いてないが)、各学科に
5名程《学科賞》という称号が与えられる。親が来る以上、これはゲットして
おかないとやばいと思っていただろうし、いただいた今となっては笑い話
だが、長女の気の使いようは半端ねえ!って感じだったろうし、本当に
いただいてありがたい。おめでとう!
努力のあとがありありの仕上げのきれいな作品だった。
縫製技術を身につけたのがうれしかった。

彼女の友達たちは、われ等夫婦を見て、よく似た夫婦だと言ったとか。
27年ほど一緒にいると、やっぱり似てくるものらしい。

つぎの朝、思いがけない幸運が待っていた。
彼女の買ってきた新聞に、卒制始まる!の記事が載っていたのだが
その紹介写真が、まさに彼女の作品ブースだけをそのまま写したもので
これはちょっとした奇跡だ!
親バカ夫婦が、この新聞を求めてこのあとコンビニをハシゴしに
走ったのは言うまでもない。
京都の、昔の恩人の住んでおられた田中野神町のすぐ近くの
こうした長女への幸運は、どうしても支えられているとしか
思えない。ありがとう先生!ありがとう母ちゃん!
ありがとう!京都のおじさん!

2009年2月15日日曜日

WE CRY

このところ不思議なことが起こった。
MASAが、何気なく置いていった何枚かのCDが
はずれなく、みんな面白くて、こうゆう若いバンドに
はまることって、まずない自分にはとっても
めずらしい現象といえる。
とくにこのSCRIPTの WE CRY
ってのがいい。
http://www.youtube.com/watch?v=Vg6RoXIuhUY&feature=related

スティングの息子と言われると信じそうな、いい声だ
POLICEの現代版といえるか。

次が、ザ・フージアーズ
http://www.youtube.com/watch?v=lSlHGK-n4_Y
いかにもイギリスらしい、なにか懐かしささえ感じさせる
いいバンドだ

そしてベン・フォールズ
http://www.youtube.com/watch?v=mkiMdAPmJLU&feature=related
トリオの頃から、ピアニストにしては、ロック志向の強い人だ
ポップにいけばいいのを、わざわざぶち壊すタイプだ
この曲は、素直な方だが毒は失われていない。

いま携帯の中はこの3枚しか入れてなくて
この3枚を聞くのをたのしんでいる。
最近のCDをこれだけ楽しめるのは
本当に久しぶりなのではないだろうか。
何かが起こっているような気がする。
ボクが変わったわけではないので
時代が一回りして、戻ってきたという感じか。
気づかせてくれたMASAにただ感謝。

WE CRYの歌詞を見たらこれが又ピタリ!

(鳥はいつか飛び立つ
どんな薔薇もいつか枯れる
子供の巣立ちは辛いもの 家を出て、行き着く先は
誰も知らない
飲んだくれて 一人酔いつぶれるのか
生きるすべを教えろ 一生の知恵を
子供たちに真実を教え 正直であれと願え
置手紙で知らされるよりいい......)
THE SCRIPT [We cry]より抜粋

2009年2月3日火曜日

光と影の街・東京 その2

MASAと、ビートルズの曲だけのライブハウス「アビーロード」へ行った。
行ってみて驚いたのは、この店の真裏に、MASAのバイト先の事務所が
あったとのことで、まさか真裏で毎夜こんな楽しいことがあったとは
実に変な感じだとの事。
この店に寄る前に、彼の昔のバイト先のビルへ、夜景を見に行ったのだが
ボクの目的は、彼がどんなところで働き、苦しみ、少しは面白い経験をし
生きてきたのかを、自分の感覚でその場所に立って共有したいというものだった。
彼は私のそんなリクエストに見事に応え、そのシチュエイションを細かく語って
くれた。
ボクはあたかも自分がその場でバイトをしているような錯覚に心地よく酔った。
そのバイト先に来たのは、当時以来始めてだそうで、、やはりここには、
あのバイト状態には、二度と戻りたくないことを、改めて確認したとのこと。
そして、今のこの立場だからこそ味わえる、なつかしさを少し楽しんでいるように見えた。

たまたまその場所でやっていたのが、期間限定のインドの若手作家の美術展?で
その1に出てきた影絵のようなシチュエイションはそのうちの1つである。
CGと思われるが、自分のシルエットが使われるところが、リアルで怖い。

話が最初に戻るが、アビーロードは以前何回か来ていたので、だいたい知って
いたのだが、MASAは、オヤジが、変なライブへ行かなければいいがと
心配していたらしい。実際はPARROTSのライブを楽しんでくれて、我々は
世代を超えてビートルズを満喫した。
友と一緒に又来たいと言っていた。
店を出てから、この看板(写真)を改めて見たのだが
外タレさん達が、いっぱい遊びに来ていて
MASAを驚かせた。
ステイング・BOZ・ブライアン セッツァー
アークティックモンキーズ・オアシス
スティーブ ルカサー・ボンジョビ・・・・
日本一といわれるジョンレノンばりのボーカリストも
楽しめた GIROPPONの夜であった。

2009年1月28日水曜日

光と影の街・東京 その1

7,8年ぶりの東京
面白かった!
息子と人生初めての影絵の2ショット
私たちは、否応なく重い荷物を背負わされたり
どう振っても取れないカビのような物体に
まとわりつかれる。
今考えると、それぞれの人生のようで
よく出来ているコンセプトだと思う。
私と息子は、まるで見事なポーズを
とっているかのように、画面を面白くしている。
こんな一生に一枚のショットが嬉しい。
少し東京の話をしよう。

2009年1月13日火曜日

どんくまさんはお休み中

近頃茂木さんがマイブームになりつつある。
彼の著書の中で、ひとつはまったのがこんな話。
人は、幼い頃の断片的な記憶を、なんとなく偶然覚えて
いるだけとおもっているが、
幼いころでも、脳は、これは重要だと、あるいは記憶すべき
情報だと認識して記憶しているもので、その人にとって、けっして
無視できない大事な要素を担った記憶なのであると。
そして、人間にとって、その記憶を自由に、曲げたり変えたりして
遊ぶことは、とても意義深い、貴重なことなのだと。
それが現在の自分に大変有効な情報をもたらす可能性
があるということなのだ。

どんくまさんを筆頭に、ボクの絵本大会(就寝前は、絵本→
お話→歌の順に必ず毎晩子供に読み聞かせしていた)には
たくさんのキャラクターが登場した。
ボクが絵本に飽きた子供たちに、全くオリジナルで
その場の思いつき童話を話してやっていたのだが、
もうそのオリジナル思いつき話は自分では覚えていない。
むしろ、子供たちの記憶の中で生きているような気がする。
たしかどんくまさんの子供たちの番外編の話。
犬の冒険の話。天井裏のねずみの話。
蟻の話。(今考えるとバグズ・ライフを先取りしている)

中でもボクの一番のお気に入りはこの
「どんくまさんにふゆがくる」である。
この本は、いったい何度読んだことだろう。
人生でも最も幸せな頃の、ボクの大事な
記憶である。
ボクに孫というものができた時、この本を
再び手にすることがあるかもしれない。
その時まで、どんくまさんは冬眠中?

2009年1月10日土曜日

ハッピーバースデーMASA

昭和58年1月11日、彼は、父母のまさに待望の天使としてこの世に生をうけた。
結婚後4ヶ月ほどでの妊娠は、夫婦の執念にも似た努力の成果である。
3年経ってもできなければ来てください。と医者に言われていたのだから。
まさかと思っていた母は、妊娠していたのに、田植えをして、危うく流産
するところであった。(本当に危機一髪)
あまりに出過ぎるお乳は、彼が飲むだけではあまり過ぎ、ほとんど絞りとって
いた。
1年を過ぎても、彼はお乳を飲み続け、もう惰性で飲んでいるだけとなったので
ある日、母は、お乳に「へのへのもじ」を描いて、彼にこう言った。
『まあくん、もうお乳は飲まなくていいのよ』
彼の、不思議そうな、少し悲しげな瞳をいまだに忘れることはない。
その時からいっさいお乳を欲しがらなくなった。
多分十分飲んだからだろう。
もう26年、なかなか一筋縄ではいかないこの変わり者両親に
育てられて、さぞ大変だったかもしれない。
彼とともに生きた私たちの26年に対する感謝も込めて
誕生日ありがとう、おめでとう!