2008年12月18日木曜日

あの時ボクは若かった



 10年前、生まれてすぐのボクとママや妹の前に、ある家族がやってきた。
ボクがいいとか、いろいろ言っていたが、その後2ヶ月経って、ボクは
ママと別れて、一台の車に乗せられた。
今となっては、この家族の一員になれたことは、幸せなことだったのだろうが
このときは、これから先どうなるのだろうとただただ不安で、シートの下の
足元のセマーイところにうずくまって震えていたことを思い出す。
ただ、車の細かな振動のようなものが、とても心地良かったので、ボクは
自動車というものが好きになった。
この写真は、ボクの数少ない、もっとも幼い頃のもので、まだ心細い目が
寂しさを訴えている。
ボクの名前は誰が決めたのかはもう忘れたが、どちらかというとクマ五郎
とか日本的な名のほうがよかったような顔で、自分でも恥ずかしい。
『ラッキーが来た』とその名のごとくこの家族を幸せに出来ているのか
はなはだ自信がない。


2008年12月11日木曜日

ゴールデン・スランバーズ・・・その後


長女からのメールで「お父さん、昔歌ってくれた子守唄、何て曲やったっけ」という問いかけに懐かしい思いが甦った。
ザ・ビートルズの「アビーロード」B面のメドレー形式の中盤に出てくるこの曲はひときわやさしい子守唄である。
我が子の寝る前に歌ってやるのを常としていたが、この曲はもっと展開すればいいのに、と思う間もなく
CARRY THAT WEIGHTへ突入する。「息子よ、お前は一生この思い荷物を背負っていかなければならない」
と合唱する力強い応援歌だと思う。この歌詞はすなわち我が息子への思いに重なる。(ただこの曲は、当時のポールの
ジョンに対する気持ちだという説もある)
僕も当時、長女のために歌を作った。本当に小さな手で、けなげにピアノの練習をしている長女があまりにいとおしくて
ふと出てきたフレーズだった。  「その小さな手に抱えきれない未来(あした)を・・・・」この詩はその先がまだ出来ていない。
*写真はあの有名なアビーロードを渡る4人のほんの数秒前のカット