2009年10月1日木曜日

グラントリノ




 自分は、クリントイーストウッドさんを、心から尊敬しているが
監督として、アカデミー賞をもらうような映画があまりぴんと来ない。
サービス精神にあふれている方がすきである。
『グラントリノ』は、偏見、人種差別、暴行、侮蔑の言葉に溢れて
いつにもかかわらず、この人の、やはり人柄と言うべきか、
後味はいい。


ひょっとすると、何度も見たくなる後期の代表作になるかも。


自分も、こんな孫を持ち、息子を持ったら、それはそれは
情けないだろうし、説教オヤジになりそうでつらい。


モーガンフリーマンほかの俳優たちが、彼の映画だったら
自分が、金を払ってでも出たい、という程、
彼の映画の撮り方は、シンプルかつ早いそうで
大方、TAKE1、撮っても2、という早撮り。


今回もダラダラっしてなくて、率直、ドンドンと
編集は進む。だからあきずに観れる。


スタッフロール観ていて驚いたのが、歌って
いるのがジェイミーカラム。
僕が目をつけていたジャズ畑の若手で
ジャズ好きなクリントさんと趣味が合ったかと
おもうと、ガッツポーズ!!


クリント爺さんの映画もあと何本とか
考えてしまって、ちょと心配。


そういえば、BREADのキーボード奏者で
明日に架ける橋 のピアノなどを弾いていた
ラリーネクテルさんが亡くなった。


地味な裏方の人だったが、いい仕事をする
職人でありながら、センスのいいピアノを
弾く人だった。老後にゆっくり聞こうなどと
思っていたのが間違いだった。
僕のヒーローたちは時を待たず旅立っていく。
さっさと会いにいくなり、訪ねていかないと
絶対後悔するなぁ と改めて思った。



ところで、DVDについては、マサに世話になった。
CDも嬉しかった。
オヤジのカーステレオはついに新品になったので
CDを聞ける。
SUPERFLYが本町にこだまする。

2009年7月23日木曜日

97年分の1日


 仕事帰りの建物を出ると、まず空気をよむ。
今日は、低気圧か? 湿っているか
からっとして高気圧か?
これによってオヤジの容態が違った。
さらっとした高気圧の日は、体がえらいとは言わない。
低気圧の日は、必ず「てきない」「えらい」が待っている。
パンはあったか?牛乳は、トマトは切れてないか・・・・・・・
6月12日朝7時
長い長い時間がプツンと切られた。
父親が死んだ。
今回も又甦るであろうという僕の読みははずれた。
6週間経った今、僕はゆっくりと振り返る余裕を持った。
さぞ心が楽になるだろうという僕の予想は見事にはずれ
予想もしない心境になった。
僕のこの2年間は幸せだった。
説明のつかないこの心持ち。
子供たちに伝えなければならないことがある。
父は、死の2週間くらい前に、今考えると遺言とも
考えられる言葉を遺している。
『父ちゃん、なかなかいいこと言うに・・』
と言って、『さすがいいこと言うなあ』 と
褒めて励ましていたのだが、まさか
遺言になるとは思わなかった。
ざっとその時メモしておいたのを
たまたまみつけたので、完全に伝えるものでは
ないが、ニュアンスは分かってもらえると思う。
①お前に(豊に)いろいろアドバイスできることに誇り
 をもつことが大事
②人間は自分自身で自分のCMを作れるくらいでないとダメ
 人に作ってもらっているようではダメ
③自分でスポーツをしているように考える。
 キャッチャーの立場で考えたり
 ピッチャーの立場で考えたりする。
 立場が変われば考え方は全く変わる。
④金だけ稼いでニコッとしているようではダメ
 
⑤いろんな引き出しを持つ努力を常に欠かさない
 のが大事
⑥豊の立場を理解し、どうゆうアドバイスをしてやったら
 ためになるのか、常に考える。
 考える時間はたっぷりある。
 ただ寝ているだけではない、それを
 考えることで時間を保てる。
 良いアドバイスができれば嬉しい。
父は、最期に、自分に最高の助言を遺した。
父ちゃん、ありがとう。

2009年5月21日木曜日

HAPPY BIRTHDAY YUMI


先日、長女の新しいうちへ行って来たのだが、丁度自分の誕生日の
翌日で、逆にお祝いしてもらった。
長女を励ましに行ったはずが、まさかこんな状況で
よくケーキを作る気持ちになれたなと、気持ちに感謝した。
このケーキのことは、ずっと忘れないだろう。
今日は、ゆみの誕生日、本人の揺れる気持ちを考えると
遠く離れてはいるが、心から祝わずにはいられない。
近頃、宮川の河畔には、沢山の水鳥が繁殖して、
ラッキーの散歩道を、鴨の親子が、ウロウロして
いたりする。
ゆみの小さい頃、背中で寝かせる時は、
必ず、「ガーガァは寝んねしましたよ
ゆみちゃんも寝んねしましょうか」という
オリジナルソングを謡ってやるのが常だった。
その頃、丁度宮川に、少し足を引きずる水鳥がいて
私たちは「ガーガァ」と呼んでいた。
ある大雨の日以来、姿が見えなくなった。
大水で流されたんだろうなあ、と思ったが
ゆみには言えなかった。
背中から響いてぃる父の声が
いつか思い出になってくれればいいなと
思いながら、歌には手を抜かなかった。
あれから20年、いつでも背中は
あけてある。
あっという間の23年。
おめでとう!!!

2009年5月12日火曜日

HAPPY BIRTHDAY NANA


誕生日おめでとう!
名前がどう決まったかを告白しておかなければなるまい。
当時、父は当然名前に悩んでいた。
その時、実家の関係で、名前をみてくれる人がいるとか
いうことで、その人の名前も知らないし
勿論今はどうゆう風にその電話番号を知ったかも忘れたが
とにかくその人に電話して、
こうこうこうゆう画数で、と話していたら
2つ3つ、こうゆうのもありますけど
きめるのは あくまでご両親で!
といわれながら、聞いていたのだが
NANA・・・と言われた瞬間、
ピンポン!!!と僕の時計が鳴った!
岡田NANAはその後の付け足しで
出てきた話だ。
この両親の遺伝子と
兄・姉の運命を背負って
生まれてきてくれて
ありがとう!

2009年5月10日日曜日

我が家のゴールデンウィーク



我が家のGWが始まった。


今日は母の日


12日は次女の日


14日は父の日


21日は長女の日





写真は、今現在のことなど夢の夢の頃。


両親にとってみれば、子育て時代ということになる。





やはり、あとからほのぼの思うもので


真ん中は、道に迷っているばかりーという唄の文句に近い。





CMで、母の日は、母に会う日というフレーズがあって


母の日は、墓参りにいくのが良いようで、


今、それにのって、墓周りの草取りがてら


お墓参りにいって来た。


妻は、草取りを、かんねつにやるほうなので


証拠写真も撮ってきた。



すっきりしたお墓に向かって

『母ちゃん ありがとう』

2009年4月20日月曜日

私の『GODFATHER』

  珍しい写真を見つけた。
50年前くらいだろうか。
初めて見るこの写真、タイムマシンにのったようだ。
右端は上木のおじさん。
列車から顔を出しているのは京都のおじさんだ。
父も母も若い。
まるで自分版『ゴッドファーザー』を見ているようだ。
みんな背広が今よりかっこいいぞ。
母は美しい。
僕はどっかのおぼっちゃまのようにおすましだ。

しかし昔の思いではこんなに華やかではない

広場で行われた「すもう大会」に負けて
母の胸で泣いたこと。

10円玉を何故僕が持っているのかと
母にきつく問い詰められたこと。

家を出て行こうとする母を
「母ちゃん、行くないな」と
泣いて止めたこと。

夜遅くまで仕事を止めない
母の後姿をただ見ていたこと。

母と見ていた映画がつまらないので
途中で帰ろうと言って
そのおかげで父が命を救われたこと。

酔っている父を、見知らぬ人の家まで
迎えに行って、その家の自分と同じくらいの
歳の子供に、「はよう行ってまえ!」
と言われたこと。

痴呆の母を、施設に置いて帰ってこられる
自分がいたこと

足が腫れ、呻いている母を
施設において、帰ってくる自分が
いたこと。

そして
誰がなんと言っても
こうゆう自分には、晩年に
同じ境遇が回ってくるだろう
とおもうこと。

母のあどけない笑い顔は、僕の救いだ。

2009年3月22日日曜日

卒業式:前夜

 不思議な夜だった。
時が止まったような、生あったかい
狐につままれたような、別の世界があった。

長女の大学卒業指揮を明日に控え、
我々夫婦は、袴を着付けてくれる祖母とともに
京都に居た。
たまたま東山を灯篭でうめるという
花灯篭という企画があるというので
半信半疑でタクシーに乗った。

タクシーを降りると、いきなり細い坂道を
照らす灯篭のまっすぐ上に八坂の塔が
ライトアップされていて、まさに絵葉書。

ゆっくりと花灯篭の道を歩いていくと
次々ときれいな景色が現れて、祖母を
喜ばせた。
二年坂を通り、ねねの道を歩いて
ただただ、この夜に酔った。

八坂神社へ着いた時、
長女と4年半前、初めて京都を
訪れ、この神社のこの同じ場所から
母に電話したことを、二人ともはっきり
覚えていて、時の魔法、
少し長い夢を見ていたような、浪漫に
再び酔った。

彼女もあの時は18歳。
もうすぐ23になろうとしている現在
いつの間にか、大人になった。
卒業式の前の晩、
八坂の神様が見せてくれた
あたたかい夢。
京都の神々は、長女を
祝福してくれたようだ。
ありがたい。
一生忘れない京都になった。