2009年2月15日日曜日

WE CRY

このところ不思議なことが起こった。
MASAが、何気なく置いていった何枚かのCDが
はずれなく、みんな面白くて、こうゆう若いバンドに
はまることって、まずない自分にはとっても
めずらしい現象といえる。
とくにこのSCRIPTの WE CRY
ってのがいい。
http://www.youtube.com/watch?v=Vg6RoXIuhUY&feature=related

スティングの息子と言われると信じそうな、いい声だ
POLICEの現代版といえるか。

次が、ザ・フージアーズ
http://www.youtube.com/watch?v=lSlHGK-n4_Y
いかにもイギリスらしい、なにか懐かしささえ感じさせる
いいバンドだ

そしてベン・フォールズ
http://www.youtube.com/watch?v=mkiMdAPmJLU&feature=related
トリオの頃から、ピアニストにしては、ロック志向の強い人だ
ポップにいけばいいのを、わざわざぶち壊すタイプだ
この曲は、素直な方だが毒は失われていない。

いま携帯の中はこの3枚しか入れてなくて
この3枚を聞くのをたのしんでいる。
最近のCDをこれだけ楽しめるのは
本当に久しぶりなのではないだろうか。
何かが起こっているような気がする。
ボクが変わったわけではないので
時代が一回りして、戻ってきたという感じか。
気づかせてくれたMASAにただ感謝。

WE CRYの歌詞を見たらこれが又ピタリ!

(鳥はいつか飛び立つ
どんな薔薇もいつか枯れる
子供の巣立ちは辛いもの 家を出て、行き着く先は
誰も知らない
飲んだくれて 一人酔いつぶれるのか
生きるすべを教えろ 一生の知恵を
子供たちに真実を教え 正直であれと願え
置手紙で知らされるよりいい......)
THE SCRIPT [We cry]より抜粋

2009年2月3日火曜日

光と影の街・東京 その2

MASAと、ビートルズの曲だけのライブハウス「アビーロード」へ行った。
行ってみて驚いたのは、この店の真裏に、MASAのバイト先の事務所が
あったとのことで、まさか真裏で毎夜こんな楽しいことがあったとは
実に変な感じだとの事。
この店に寄る前に、彼の昔のバイト先のビルへ、夜景を見に行ったのだが
ボクの目的は、彼がどんなところで働き、苦しみ、少しは面白い経験をし
生きてきたのかを、自分の感覚でその場所に立って共有したいというものだった。
彼は私のそんなリクエストに見事に応え、そのシチュエイションを細かく語って
くれた。
ボクはあたかも自分がその場でバイトをしているような錯覚に心地よく酔った。
そのバイト先に来たのは、当時以来始めてだそうで、、やはりここには、
あのバイト状態には、二度と戻りたくないことを、改めて確認したとのこと。
そして、今のこの立場だからこそ味わえる、なつかしさを少し楽しんでいるように見えた。

たまたまその場所でやっていたのが、期間限定のインドの若手作家の美術展?で
その1に出てきた影絵のようなシチュエイションはそのうちの1つである。
CGと思われるが、自分のシルエットが使われるところが、リアルで怖い。

話が最初に戻るが、アビーロードは以前何回か来ていたので、だいたい知って
いたのだが、MASAは、オヤジが、変なライブへ行かなければいいがと
心配していたらしい。実際はPARROTSのライブを楽しんでくれて、我々は
世代を超えてビートルズを満喫した。
友と一緒に又来たいと言っていた。
店を出てから、この看板(写真)を改めて見たのだが
外タレさん達が、いっぱい遊びに来ていて
MASAを驚かせた。
ステイング・BOZ・ブライアン セッツァー
アークティックモンキーズ・オアシス
スティーブ ルカサー・ボンジョビ・・・・
日本一といわれるジョンレノンばりのボーカリストも
楽しめた GIROPPONの夜であった。

2009年1月28日水曜日

光と影の街・東京 その1

7,8年ぶりの東京
面白かった!
息子と人生初めての影絵の2ショット
私たちは、否応なく重い荷物を背負わされたり
どう振っても取れないカビのような物体に
まとわりつかれる。
今考えると、それぞれの人生のようで
よく出来ているコンセプトだと思う。
私と息子は、まるで見事なポーズを
とっているかのように、画面を面白くしている。
こんな一生に一枚のショットが嬉しい。
少し東京の話をしよう。

2009年1月13日火曜日

どんくまさんはお休み中

近頃茂木さんがマイブームになりつつある。
彼の著書の中で、ひとつはまったのがこんな話。
人は、幼い頃の断片的な記憶を、なんとなく偶然覚えて
いるだけとおもっているが、
幼いころでも、脳は、これは重要だと、あるいは記憶すべき
情報だと認識して記憶しているもので、その人にとって、けっして
無視できない大事な要素を担った記憶なのであると。
そして、人間にとって、その記憶を自由に、曲げたり変えたりして
遊ぶことは、とても意義深い、貴重なことなのだと。
それが現在の自分に大変有効な情報をもたらす可能性
があるということなのだ。

どんくまさんを筆頭に、ボクの絵本大会(就寝前は、絵本→
お話→歌の順に必ず毎晩子供に読み聞かせしていた)には
たくさんのキャラクターが登場した。
ボクが絵本に飽きた子供たちに、全くオリジナルで
その場の思いつき童話を話してやっていたのだが、
もうそのオリジナル思いつき話は自分では覚えていない。
むしろ、子供たちの記憶の中で生きているような気がする。
たしかどんくまさんの子供たちの番外編の話。
犬の冒険の話。天井裏のねずみの話。
蟻の話。(今考えるとバグズ・ライフを先取りしている)

中でもボクの一番のお気に入りはこの
「どんくまさんにふゆがくる」である。
この本は、いったい何度読んだことだろう。
人生でも最も幸せな頃の、ボクの大事な
記憶である。
ボクに孫というものができた時、この本を
再び手にすることがあるかもしれない。
その時まで、どんくまさんは冬眠中?

2009年1月10日土曜日

ハッピーバースデーMASA

昭和58年1月11日、彼は、父母のまさに待望の天使としてこの世に生をうけた。
結婚後4ヶ月ほどでの妊娠は、夫婦の執念にも似た努力の成果である。
3年経ってもできなければ来てください。と医者に言われていたのだから。
まさかと思っていた母は、妊娠していたのに、田植えをして、危うく流産
するところであった。(本当に危機一髪)
あまりに出過ぎるお乳は、彼が飲むだけではあまり過ぎ、ほとんど絞りとって
いた。
1年を過ぎても、彼はお乳を飲み続け、もう惰性で飲んでいるだけとなったので
ある日、母は、お乳に「へのへのもじ」を描いて、彼にこう言った。
『まあくん、もうお乳は飲まなくていいのよ』
彼の、不思議そうな、少し悲しげな瞳をいまだに忘れることはない。
その時からいっさいお乳を欲しがらなくなった。
多分十分飲んだからだろう。
もう26年、なかなか一筋縄ではいかないこの変わり者両親に
育てられて、さぞ大変だったかもしれない。
彼とともに生きた私たちの26年に対する感謝も込めて
誕生日ありがとう、おめでとう!

2008年12月18日木曜日

あの時ボクは若かった



 10年前、生まれてすぐのボクとママや妹の前に、ある家族がやってきた。
ボクがいいとか、いろいろ言っていたが、その後2ヶ月経って、ボクは
ママと別れて、一台の車に乗せられた。
今となっては、この家族の一員になれたことは、幸せなことだったのだろうが
このときは、これから先どうなるのだろうとただただ不安で、シートの下の
足元のセマーイところにうずくまって震えていたことを思い出す。
ただ、車の細かな振動のようなものが、とても心地良かったので、ボクは
自動車というものが好きになった。
この写真は、ボクの数少ない、もっとも幼い頃のもので、まだ心細い目が
寂しさを訴えている。
ボクの名前は誰が決めたのかはもう忘れたが、どちらかというとクマ五郎
とか日本的な名のほうがよかったような顔で、自分でも恥ずかしい。
『ラッキーが来た』とその名のごとくこの家族を幸せに出来ているのか
はなはだ自信がない。


2008年12月11日木曜日

ゴールデン・スランバーズ・・・その後


長女からのメールで「お父さん、昔歌ってくれた子守唄、何て曲やったっけ」という問いかけに懐かしい思いが甦った。
ザ・ビートルズの「アビーロード」B面のメドレー形式の中盤に出てくるこの曲はひときわやさしい子守唄である。
我が子の寝る前に歌ってやるのを常としていたが、この曲はもっと展開すればいいのに、と思う間もなく
CARRY THAT WEIGHTへ突入する。「息子よ、お前は一生この思い荷物を背負っていかなければならない」
と合唱する力強い応援歌だと思う。この歌詞はすなわち我が息子への思いに重なる。(ただこの曲は、当時のポールの
ジョンに対する気持ちだという説もある)
僕も当時、長女のために歌を作った。本当に小さな手で、けなげにピアノの練習をしている長女があまりにいとおしくて
ふと出てきたフレーズだった。  「その小さな手に抱えきれない未来(あした)を・・・・」この詩はその先がまだ出来ていない。
*写真はあの有名なアビーロードを渡る4人のほんの数秒前のカット