2009年1月28日水曜日

光と影の街・東京 その1

7,8年ぶりの東京
面白かった!
息子と人生初めての影絵の2ショット
私たちは、否応なく重い荷物を背負わされたり
どう振っても取れないカビのような物体に
まとわりつかれる。
今考えると、それぞれの人生のようで
よく出来ているコンセプトだと思う。
私と息子は、まるで見事なポーズを
とっているかのように、画面を面白くしている。
こんな一生に一枚のショットが嬉しい。
少し東京の話をしよう。

2009年1月13日火曜日

どんくまさんはお休み中

近頃茂木さんがマイブームになりつつある。
彼の著書の中で、ひとつはまったのがこんな話。
人は、幼い頃の断片的な記憶を、なんとなく偶然覚えて
いるだけとおもっているが、
幼いころでも、脳は、これは重要だと、あるいは記憶すべき
情報だと認識して記憶しているもので、その人にとって、けっして
無視できない大事な要素を担った記憶なのであると。
そして、人間にとって、その記憶を自由に、曲げたり変えたりして
遊ぶことは、とても意義深い、貴重なことなのだと。
それが現在の自分に大変有効な情報をもたらす可能性
があるということなのだ。

どんくまさんを筆頭に、ボクの絵本大会(就寝前は、絵本→
お話→歌の順に必ず毎晩子供に読み聞かせしていた)には
たくさんのキャラクターが登場した。
ボクが絵本に飽きた子供たちに、全くオリジナルで
その場の思いつき童話を話してやっていたのだが、
もうそのオリジナル思いつき話は自分では覚えていない。
むしろ、子供たちの記憶の中で生きているような気がする。
たしかどんくまさんの子供たちの番外編の話。
犬の冒険の話。天井裏のねずみの話。
蟻の話。(今考えるとバグズ・ライフを先取りしている)

中でもボクの一番のお気に入りはこの
「どんくまさんにふゆがくる」である。
この本は、いったい何度読んだことだろう。
人生でも最も幸せな頃の、ボクの大事な
記憶である。
ボクに孫というものができた時、この本を
再び手にすることがあるかもしれない。
その時まで、どんくまさんは冬眠中?

2009年1月10日土曜日

ハッピーバースデーMASA

昭和58年1月11日、彼は、父母のまさに待望の天使としてこの世に生をうけた。
結婚後4ヶ月ほどでの妊娠は、夫婦の執念にも似た努力の成果である。
3年経ってもできなければ来てください。と医者に言われていたのだから。
まさかと思っていた母は、妊娠していたのに、田植えをして、危うく流産
するところであった。(本当に危機一髪)
あまりに出過ぎるお乳は、彼が飲むだけではあまり過ぎ、ほとんど絞りとって
いた。
1年を過ぎても、彼はお乳を飲み続け、もう惰性で飲んでいるだけとなったので
ある日、母は、お乳に「へのへのもじ」を描いて、彼にこう言った。
『まあくん、もうお乳は飲まなくていいのよ』
彼の、不思議そうな、少し悲しげな瞳をいまだに忘れることはない。
その時からいっさいお乳を欲しがらなくなった。
多分十分飲んだからだろう。
もう26年、なかなか一筋縄ではいかないこの変わり者両親に
育てられて、さぞ大変だったかもしれない。
彼とともに生きた私たちの26年に対する感謝も込めて
誕生日ありがとう、おめでとう!

2008年12月18日木曜日

あの時ボクは若かった



 10年前、生まれてすぐのボクとママや妹の前に、ある家族がやってきた。
ボクがいいとか、いろいろ言っていたが、その後2ヶ月経って、ボクは
ママと別れて、一台の車に乗せられた。
今となっては、この家族の一員になれたことは、幸せなことだったのだろうが
このときは、これから先どうなるのだろうとただただ不安で、シートの下の
足元のセマーイところにうずくまって震えていたことを思い出す。
ただ、車の細かな振動のようなものが、とても心地良かったので、ボクは
自動車というものが好きになった。
この写真は、ボクの数少ない、もっとも幼い頃のもので、まだ心細い目が
寂しさを訴えている。
ボクの名前は誰が決めたのかはもう忘れたが、どちらかというとクマ五郎
とか日本的な名のほうがよかったような顔で、自分でも恥ずかしい。
『ラッキーが来た』とその名のごとくこの家族を幸せに出来ているのか
はなはだ自信がない。


2008年12月11日木曜日

ゴールデン・スランバーズ・・・その後


長女からのメールで「お父さん、昔歌ってくれた子守唄、何て曲やったっけ」という問いかけに懐かしい思いが甦った。
ザ・ビートルズの「アビーロード」B面のメドレー形式の中盤に出てくるこの曲はひときわやさしい子守唄である。
我が子の寝る前に歌ってやるのを常としていたが、この曲はもっと展開すればいいのに、と思う間もなく
CARRY THAT WEIGHTへ突入する。「息子よ、お前は一生この思い荷物を背負っていかなければならない」
と合唱する力強い応援歌だと思う。この歌詞はすなわち我が息子への思いに重なる。(ただこの曲は、当時のポールの
ジョンに対する気持ちだという説もある)
僕も当時、長女のために歌を作った。本当に小さな手で、けなげにピアノの練習をしている長女があまりにいとおしくて
ふと出てきたフレーズだった。  「その小さな手に抱えきれない未来(あした)を・・・・」この詩はその先がまだ出来ていない。
*写真はあの有名なアビーロードを渡る4人のほんの数秒前のカット

2008年11月29日土曜日

2008年10月28日火曜日

30年後の聖母(マドンナ)


 
今回、初めて気がついたのだが、30年前、あれほど好きだった
岩崎宏美さんのライブというものを、今まで一度も見たことが
なかった。
かつて未だボクが独身貴族だったころ、車の中の音楽はほとんど
ROCKだったのだが、唯一、彼女だけはヘビーローテーションで
よく聞いていた。カセットにお気に入りを編集して、ベストアルバム
を作って遊んだ懐かしい時代の話である。
その後、彼女も結婚し、子供を産み、子供と離別を余儀なくさせられ
地獄をみて、近頃ようやく立ち直ったという感じらしい。
若作りをして、遠目に見れば、彼女は、まるで20代と変わらぬ容貌
で、歌声も、全く衰えていないのが、本当に嬉しかった。
最近の曲は、人生の機微を静かに語るタイプの歌が多く、
それは、まさに今の心を、そのまま反映した落ち着きぶりだった。
とても驚いたことは、昔はほとんど、ボクのカセットに入らなかった
「聖母マドンナたちのララバイ」が、当時と全く違う歌になっていたことだった。
聖母の子守唄・・・なるほど彼女は、今、真に聖母に
なったのだ。我が子を思いながら歌うことになるとは
まさか当時は思いもしなかっただろうに。
 
コンサート終了後、握手会というものがあって
なんと、30年の時を越えて、昔の恋人にでも
逢うような感じで、順番を待った。
わずか3秒ほどの間に、どうゆう言葉を言えば
古いファンだということが分かるだろう?
考えあぐねる内に、ボクの番となり、咄嗟に
出たのが
『世界で一番好きな声です!』
あーっ!もうちょっと気の利いた
セリフはなかったのか。悔やむ。
今年、彼女は50代に突入し、それをとても
ポジティブに楽しみにしているとのこと、
ようこそ50代へ!!!・・・・・・・